【東京/大人の絵画教室】芥川喜好先生
↑『納涼図屏風』久隅守景
久隅 守景(くすみ もりかげ、生没年不詳)は、江戸時代前期の狩野派の絵師。通称は半兵衛、号は無下斎、無礙斎、一陳斎。狩野探幽の弟子で、最も優秀な後継者。その画力や寛永から元禄のおよそ60年にも及ぶ活動期間、現存する作品数(200点以上)に比べて、人生の足跡をたどれる資料や手がかりが少なく謎が多い画家である。
納涼図屏風(国宝、東京国立博物館蔵) 二曲一隻 紙本墨画淡彩
守景の代表作として第一に挙げられる作品。国宝指定は昭和27年(1952年)11月22日。余白が多いあっさりとした画風や、画面がやや汚れている事などから一見地味な印象をうけ、「最も国宝らしく無い国宝」と云われることもあるが、親子3人がのんびりと涼む姿を深い愛情をもって詩趣豊かに表現した名作である。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
元旦から引き続き、平賀敬(父)・幸(母)・太朗(私)に関する記事などの資料を、世のため我が子のためにファイルしています。
ダンボールを整理していたら、読売新聞で月一回掲載の、芥川喜好先生のコラム『時の余白に』が出てきました。
私の初個展でお会いしたこともある芥川先生の文章が好きで、新聞の連載『時の余白に』を大量に残していました。
その中で、私の好きな絵(トップ画像)の文章があって、父のこともにも触れているのでブログに一部載せます。
(前略)
『夏の夕、大きな実のなる夕顔棚の下で、月見をしながら涼をとる親子らしき3人のくつろいだ姿。吹く風は、すでに秋——。
移りゆく季節の情緒のなかに人間の情愛表現を包みこんだ、江戸絵画の名品です。
墨画淡彩で余白の多い、遠目にはパッとしない画面ですが、近づいて3人のあたりに目を凝らし、そこからまた引いていくほどに、何というか、「かなしいまでの安らかさ」が伝わってくるのです。
四半世紀も前のことです。現代画家の平賀敬さん(故人)に「あんたは日本の美術史を専攻したそうだが、どんなものがいいですか」と聞かれ、「私なら久隅守景、浦上玉堂ですね。あとはキンキラキンですよ。」と答えました。乱暴にも。彼は酒焼けした赤鼻をひくつかせ、目を大きく見開いて「おい、俺と同じ意見の記者がいたのか」と、はしゃいでみせました。
平賀敬は、世の流行りものを鼻で笑って自分の道を行った、筋金入りの男です。彼の言葉に励まされ、担当していた日曜版「日本の四季」で納涼図を紹介しました。
(中略)
こうしてゆっくり眺めていれば、新たに気づくこともあります。彼らの住まい——夕顔棚に軒を貸している粗末な小屋の意味です。
仮にこれが豪壮な建物であったら、情趣とは無縁の凡庸な風俗画にすぎなかったでしょう。バラックの空間——何もない空間だからこそ、逆に何ひとつ足らぬものはないという「自足」の感覚が、豊かにあふれ出る。人間にとって大切なものは何かという問いが、画面の内からあらわれ出るのです。
東西を通じ、今もてはやされる美術の多くは、権力者の虚栄心や金持ちの道楽から生まれた特権的なものです。豪壮、華麗、絢爛、といった形容が何の疑問もなく使われています。
その意味で、豪奢の対極をゆくこの納涼図の「豊かさ」の表現は、おそらく世界に冠たるものなのです。』
平賀太朗
〔東京の絵画教室/平賀美術倶楽部:水彩画、油彩画、アクリル画、パステル画、デッサン、その他様々な特殊技法が学べます。入会金無し。初日から手ぶらでOK。初心者のかたから経験者のかたまでお気軽にお問い合わせください。〕
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